フロイディアンにはニンジャスレイヤーっていうかフジオ・カタクラがこういう風に見えてますよの話

最初に言っておくのですが、これは考察でもないし、こう読むとなんか生産性があるとか創造性があるとか面白いとかそういうのではなくって、フロイトに毒された一個人には自動的にこう見えちゃってるから仕方ないじゃん?っていうお話です。なので批判されても「ですよねー」とかしか反応できないし、そもそも反論されるような論考でもないです。
と、いうことを念頭に置いて読んでいただけると幸いです。

1.そもそもフロイトって誰よ

ちんこおじさんです。

と、言うとさすがに雑すぎるので教科書的な説明をすると、人間の性的な欲望の構造を発達段階と照応させながら理論化した人です。で、その理論に基づいて人間の精神的な不具合の本質を見抜き、本人に教えてあげることによって解決に至らしめる「精神分析」という方法を洗練させた人です。
そのために様々なことを言いました。たとえばアカンことは「超自我(社会の常識とかなんかそんなん)」によって「検閲」され「無意識」ゾーンに「抑圧」されているんだけれど、夢の中ではそれが「翻訳」を経て別の形漏れ出して現れるから夢を分析してみよう、だとか、乳幼児にも性欲がありそれが発達段階とともに変遷するがその途中でそれが阻害されると大人になったとき性的欲望のあり方が歪むだとか、最終的には死の欲動とか生の欲動とかそんなようないろんなことを言いました。面倒なのでその辺の新書の伝記とか読んでください。あるいはwikipediaとか。

2. エディプス・コンプレックス

で、今回重要になる概念が「エディプス・コンプレックス」というやつです。
一度くらい耳にしたことがあるんじゃないかなあーと思うのですが、ざーっくりいうと「男はみんなマザコンである」というやつです。雑。(ちなみにフロイトワールドには娘は基本的にいないものというか、息子の派生形であると考えてください。だから精神分析フェミニズムからド嫌われていた時期があったり今も嫌な顔をしたりする人がいたりなんかしちゃうんですが、その辺はさらにめんどくさいので省きます。バトラーとか読んでくださいね)

さて、雑な説明すぎたのでもうちょっと詳細かつ簡潔にエディプス・コンプレックスについてご説明します。元ネタはギリシャ神話ですが、それを説明するのは面倒なのでやっぱりググってください。
子供(ここでは息子を想定します。前述の通りです)というのは、生まれたときは母子一体です。俺がお前で前が俺です。望めば与えられるわけで、つまりうんこしたらすぐ清められるし、腹が減ったらすぐ乳を与えられるし、物理的にも密着している時間が長いため、母と子(自分)の別はありません。この満たされた状態を一次的自己愛と呼びますが、まあそれはあまり今回関係ないです。
ところが現実はそうではない。オムツが汚れていてもすぐ取り替えられないことがあるし、腹が減っても母乳が与えられないときがある。そればかりか母親がそばにいないことがある、ということに、だんだんと子供は気づいていきます。自分と母親はどうやら別個体であるらしい。母親は自分以外にも用があるらしい。じゃあ自分以外の何に用があるのか。ここで出てくるのが父親の存在です。
ここで息子は知ります。母親は自分のものではなく、その性的パートナーである父親のものであると。すると父親は息子の最大の敵になります。なにしろ愛すべき母親を奪い合うライバルだからです。しかも子供ですから勝ち目がない。ここから息子の父殺しの旅が始まります。この三者関係をエディプス三角形と言い、この葛藤(複合)をエディプス・コンプレックスと呼びます。
最初にフロイトをちんこおじさん呼ばわりしましたが、ここでフロイトはペニスの存在を殊の重要視します。父親はペニスを持っている。母親は持っていない=悪いことをしたから取られてしまったのだ、と息子は考えます。だからペニスを持っていることは偉くて、そうでないことは偉くない。その上、父や母は「悪いことをするとおちんちんを切っちゃうぞ」なんて脅してくる。息子は怯えます。そして、ペニスを取られまいとします。では娘の方はというと、自分がペニスを持っていないのは自分が悪いからだと考え、この闘争から下りて、代わりに父親の愛情を得ようとします。少なくともフロイト先生はそう言っています。

3. カタクラ家の息子、あるいは娘について

父殺しと言いましたが、実際に殺しちゃうと犯罪なので、要は「大人の男として父親を超える」ということを成就するのが「父殺し」の内実です。フィクションだとモロにできちゃうので、これを主題にした映画やら小説やらは数限りなく存在しますよね。アイムヨアファーザー。とかそういうやつです。

じゃあニンジャスレイヤーの中ではどうなのか。

エディプス・コンプレックスは母親への愛着なくしては成立しません。母親の愛を勝ち取るため、というのが息子が父親と戦うモチベーションだからです。
カタクラ家の母の描写はごくわずかです。しかも書籍版のみ。これから売る息子を差し置いてケータイぽちぽちしてる、というだけです。これがフジオの記憶をなぞった描写なのかナレーターが事実そうだったと証言しているのかというメタレベルの問題は残りますが、要するにそういうことです。おそらくですが、フジオ少年は母親への愛着不全を起こしている。ここが挫折していると、くだんの父殺しの物語も当然、挫折します。父を殺す主体、すなわち息子であることをやめれば、彼は娘であるしかありません。父親への恭順を誓い、愛情を求める存在になるほかありません。事実回想でも、父親からの評価を得るべくして努力を誓う(結局それは伝わらなかったわけですが)フジオ少年の姿が描かれます。事実上の去勢が成就していた、というように私には読めてしまいます。読めてしまうんだから仕方ありません。
息子であることから降りたこと。これと、非合法商業施設なる怪しげな空間の醸すちょっとやめないか感とか、ヘッズからのケツ重点扱いとかが無関係であるとは、残念なフロイディアンには思えないのです。残念でした。

4. 折れたるベッピン

話は前後(猥褻な意味ではない)しますが、フロイトがちんこおじさんと呼ばれるのは棒状のものをあまねくちんこの象徴扱いしたからです。先に精神分析療法のうちの夢分析についてちらと述べましたが、たとえば患者にどんな夢を見たか聞きます。クランケたるご婦人は燭台に蝋燭をたてようとするがうまくいかないという夢を見た、と答えます。フロイトおじさんは考え、答えます。奥さん、旦那さんの勃起不全に悩んでいますね、と。
万事が万事これです(あながち根拠のない話でもないのですが)。ちなみに穴っぽいものは全てヴァギナ扱いです。これがフロイトが非難される所以でもあります。弟子にキレられる所以でもあります(とはいえ弟子ユングフロイトからの離別には女性患者を間に挟んだ痴情の縺れも原因にあったといわれていますが)。

なのでじゃあくなフロイディアンである私もそれに倣い、ベッピンはペニスの象徴だと恥ずかしげもなく言います。みんなそれとなく言ってるけど改めて言います。ツラナイテタオスだろうがガルシアだろうがタケヤリだろうが同じです。ダイシュリケンとなるとちょっとわかんないけど。
それがニンジャスレイヤーとの戦闘で折れた、ということ。これはサンダーフォージのいうようにベッピンがあらかじめ不完全だったからであり、ニンジャスレイヤーが直接的に彼の去勢に関わっているのではない、と読めます。ていうか読みます。
ベッピンが鍛え直される以前のフジオが去勢されていた(ベッピンはあらかじめ折れていた)、という言説の根拠はほかにもあります。非合法ryは実態がばちごの回答によってうやむやになっているのでここでは触れませんが、彼が基本的には男親に恭順して生きてきたという事実があります。ウミノ教授しかりホソダ社長しかりラオモトしかりです。彼に彼自身の意志らしき意志がなかったことも頷けます。父親からの承認だけが彼の目的だからです。だからミッション未達成の時にこそ「ここで死ぬのか」というつぶやきが出たわけです
(この辺サークラからのオタサーの姫説という別のなんかがありますが、とりあえず今は傍に退けておきます)。

5. 父殺しの再起、あるいは遅咲きのビルドゥングスロマン

2部においてフジオは、鶴亀に誘われてキョートに行きます。目的は折れたるベッピンの修繕で、それにザイバツ入りが付いてきたのだと言えましょう。(2部アニメ化されるんですかね、されてほしいなあ。もふもふ)
ベッピンを治すこと、これは身と蓋を蹴り飛ばして言えば勃起不全治療な訳です。実際彼はサンダーフォージのところに行き、ベッピンを完全な姿で取り戻す。そしてニンジャ真実の一端に触れます。カツ・ワンソーという父中の父、忌むべき自らの運命の原因、最大の敵にしてすべての父祖を見出します。つまりここで(そして次いでホウリュウ・テンプルで)得たものは息子としての資格たる勃起可能なペニスだけではなく、殺すべき父親の存在でもあるのです。ここに父殺しの物語の一キャラクターの再起と、ベッピンの再起が共鳴します。なんたるエレガンスか!完璧!
とか思っちゃう訳ですね。

6. で、今後どうなるのか

と思ったんですけど、雲行きがあやしい。ベッピンは髑髏に刺さったままのようですし、彼自身が父ポジに収まってしまっている感もあり、なんかよくわかんないです。うーん。

半端ですが以上。